園長のひとりごと
レールを敷く
2025-11-10
皆様、今、目の前にレールは見えていますか?昔からよく「子どもの人生にレールを敷く」という表現があまり好ましくない意味合いで使われますが、皆様の子育てに於ける現状はどうなっておられますか?またレールを敷くとは一般的に、子どもの学業(進路)に対してよく用いられる表現のように感じますが、乳幼児期にも人生のレールを敷くというような試みは必要だと感じられますか?・・私は必須だと感じます。就学前の環境は人格形成に多大な影響を及ぼすことは幾度となくお伝えしておりますが、健全な人格へと向かう為にしっかりとしたレールが、それも学業用に敷くレールとは異なるレールがこの時期には必要だと感じます。子どもの成長を羅針盤に見立て、その中心に親が立つ。そして自らの経験、願望から主観的にまっすぐ伸びる線を引く。それが親の敷くレールです。しかし乳幼児期の今、立っている羅針盤は学業(進路)用ではなく、人格形成用の羅針盤です。そして敷かれたレールの出発地、目的地は共に「愛」という尊いものです。愛されて生まれ、愛してくれる人がいる。そのことを知らせるレールが、親が子どものために敷く最初のレールなのです。その後も喜怒哀楽に代表されるような様々な感情、そして道徳、ルール等、子どもの人格形成の為に前方180度の半径は親の敷くレールで埋められていきます。しかし親が敷けるレールはここまでです。中心から後方180度の半径はもう親の目には届きません。そこは親から自立した子どもが主体性を持って自らの力でレールを敷かなければならない領域なのです。どのようなレールで後方半径が埋められていくのか、とても気になるところですが、親として「愛」という中心からスタートさせた様々なレールが、今も子どもの心で育まれていることを信じるしかありません。人格形成のため、前半のレールを親が子に示すことはとても重要な教育です。親が前半のレール敷きに力を振るわず、曖昧な物にしてしまうと子どもたちの進路は不安定なものとなり、その迷走も想像に難くありません。人格形成のレール、特に乳幼児期に敷く前半のレールは、子どもたち(後半のレール)のために自信をもって頑丈なものをまっすぐに敷いて頂きたいと思います。それが生涯の道標となり、途中で曲がっても、時には大きく捻れても、最後には幸せなゴールへと向かう「子ども自らのレール敷き」に必ずや貢献してくれることでしょう。
バランス
2025-09-05
世の中は表裏一体、様々な事柄に絶妙なバランスを取り成り立っています。これは子どもへの関わり方も同様です。お父さんが怒れば、お母さんは受け止める、またその逆もあり、これでバランスが成立します。両者が同じように怒ってはいけません。人間の脳は「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」という本能をもっています。怒られた子どもも、反省する反面、自分にも少しは共感してほしいという思いを秘めています。余程の状況で無い限り、この「仲間になりたい(認めてほしい)」という本能も受け止めてあげなければなりません。八方塞がりで受け止めてもらえる場所がなければ正しい物事を学ぶ前に子どものなかには、孤独と混乱が生まれます。ご家庭での喜怒哀楽、みんなの思いが揃うのは喜・哀・楽とし、怒では誰かが冷静を保てるよう心掛けたいものです。しかし前もっての役割分担は難しいと思われますので、その時々でのご対応をお願い致します。「家族生活のなかにもバランスを考え、整える」言うは易し、行うは難しですが、これは価値ある努力、そして実りある真実であると強く感じます。
昭和100年広島の夏
2025-08-01
「暑いね~」「暑いですね~」「ほんと~」という言葉で始まる会話もマンネリ化し、そろそろ気の利いた会話のスタートはないかな?と頭を悩ます今日この頃です。子どもたちはシャワーとプール活動を楽しみながら、現在進行形、暑い夏を過ごしています。そしてシャワー、プールといえば、顔に水が掛かることが苦手な子どもたちから、少しでも苦手意識を取り払うことを目的とした大切な活動でもあります。夏の終わり、子どもたちに小さな成長が見られることを楽しみに、今日も手酌で子どもたちの顔に水を散らします。話を少し真面目に、今年は昭和100年、そして戦後80年という言葉をよく耳にします。また広島の夏は人類史上初めて核兵器が使用され、甚大な被害を受けた過去を持ち、非戦への誓いを強く心に覚える季節でもあります。しかし、時は過ぎ戦後80年、当時の記憶は確実に薄れ、その悲惨さを伝えてこられた方々も90歳を超える御高齢となられました。つい先日も中東で戦争とも呼べる争いが勃発し、多くの人たちが犠牲となりました。核開発、資源問題等、強行に踏み切る理由はそれぞれに有るのでしょうが、結果として得るものは犠牲として失われる命に対して無価値なものです。令和7年現在、日本では80年間という歴史的に見ても長い期間、国内はもちろん、他国との戦争にも直接的には関わっていません。この状態を「平和ボケ」という言葉で揶揄(やゆ)する論もありますが、それで大切な命が守られるのなら、家族、子どもたちの命が戦争の犠牲とならないのであれば、ボケるのも有りではないでしょうか。「ボケた」と言われることに抵抗を感じ、武装して強行に及ぼうとするような風潮はとても愚かで危険なことです。保育園生活に於いても「腹が立って手を上げる」より「我慢して対話で解決する」ことを子どもたちには説いています。それは手を上げるという行為を恐れているだけかもしれません。しかしこれを「平和ボケ」と子どもたちには決して説きません。逆にその行動を勇気あることと肯定し称えます。恒久的な平和を願うこと、又それを実現しようと努力している現在をボケていると子どもたちに説いて、苦しみ、悲しむのは、それを説かれて育った子どもたち自身です。2025年暑い夏、平和にボケつつ、しかし非戦への志は強く持つことを子どもたちに示して頂きながら、海、山、プール、楽しく且つ安全に過ごして頂きたいと思います。「しかし暑いですねー」おっと!結局(^_^;) (2025年7月の園だよりから)
おままごと
2025-05-22
「おままごと」これは男女、国籍、人種を問わない子どもたちの代表的な遊びの一つです。保育園生活に於きましても2才を待たずして、園庭の木の葉をお皿に、草や花を箸や食べ物に見立てて「はい、どうぞ」「ありがとう、モグモグモグ」と、子どもたちはおままごとが大好きです。最初は保育士が若干の手解きをしますが、その後は自分たちで発展させて、様々なバージョンのおままごとに変化していきます。そして気が付けば、誰に教わったわけでもなく配役を決め、家族構成も整えられてのリアルおままごとが展開されています。そこには家族の他にペットの犬や猫まで登場し、四つん這いになって「ワンワン」「ニャンニャン」鳴いたりもします。しかし重要、且つ人気な役柄はご想像の通り、お母さんと子ども、又は赤ちゃんのようです。「おしっこが出てますよ~。パンツを替えましょう」「バブバブ」「お出掛けしますよ~」「バブバブ」3・4・5才の子どもたちが繰り広げる不思議な寸劇?ですが、少し見方を変えると子どもたちの深層心理が表れているのではないでしょうか。社会的に3・4・5才はまだまだ子どもです。しかし0才児さんから在園する保育園のなかでは、少しお兄ちゃんお姉ちゃんです。近くに年下のお友達がいればお世話をしようという気持ちが自然と生まれます。しかし、まだまだ子どもです。つい数年前までは紙パンツ、「バブバブ」甘えて、お母さんはいつも側に居てくれました。しかし最近は怒られることもしばしば・・・あの頃に戻りたい。これも自然な欲求です。3・4・5才とはそういう時期ではないでしょうか。子どもたちはとても繊細かつデリケートです。憧れと欲求の狭間を行ったり来たり漂いながら少しずつ心も体も成長していきます。成長とは決してまっすぐ直線の右上がりではありません。「上がったと思ったら、すぐに下がるは当たり前、でも次に上がった頂点は前回よりも少し上」それでいいのだと思います。「ワンワン」「ニャンニャン」「バブバブ」ちょっと怪しい姿ですが、子どもたちは確実に成長の階段を登っているのです。




子どもの時
2025-04-01
時の流れを発達という観点からみると、我々大人はあまり変化のない1年間を過ごします。しかし子どもの1週間、1ヶ月、1年間は目まぐるしい発達、成長の日々です。さらに大人と子ども、同じ空間で生活はしていますが、時に対する感覚、使い方も大きく異なります。大人がある事柄に10分間取り組めることに対して、子どもは10分間あれば、大人の数倍の事に興味が飛び、そして動きます。無論一つの事に対して、集中して取り組む姿も発達過程では見られますが、子どもたちは、まずこの世界を大きな視点から見て、極めて浅く、そして広く知ろうとしています。その後、身心の成長に伴い、ある事柄に理解を深めようとした時、努力と継続が始まるのです。最初から一つ一つに理解を深め、力を注ごうなど考えてはいません。子どもの「時」は大人とはまったく異なるため、行動も言動も違って当然ということを知って頂き、心身共にゆとりを持った子育てを楽しんで下さい。






