園長のひとりごと
言語に対する理解と実践
2018-01-19
言語とは、人間だけが持っている特許的能力である。言語は、生まれた場所によって母語が異なるように、環境からの影響を多大に受ける性質をもっている。言い換えれば環境の有無によっては、発達が大きく異なる能力なのだ。言語能力の習得は、環境を整えて待っていては手遅れになる。ましてや、出現を待っているだけでは現れない。言語の力は、親(大人)と協力して、自ら掴み取るものである。胎児の時、すでに聞くことが始まっており、生後の親との関わり方、日常の会話、適切な環境、教育が言語の力を養っていく。大人は生後からのコミュニケーション、言語を中心とした、密な関わりを積極的に行う必要がある。それが将来、想像力、社交性、外向性、協調、自信、コミュニケーション能力等、脳のあらゆる分野に大きな影響を与える力を持っていることも知らなればならい。決して会話の出来る年齢到達を待ってはいけない。言語とは、知性そのものであり、全ての能力は言語から始まっているといっても過言ではない。人間が人間としてここまで進化を続けられた背景には、言語能力の習得熟練、そしてコミュニケーションが必要不可欠な要素である。言語能力の向上こそが、脳を肥大化させ、すべての知性の土台となっている。言語教育(絵本・話し掛け語り掛け・会話)に早すぎるということはない。
いやいやいや
2018-01-12
起きてから寝るまで返事はすべていやいやいや。子育て初期にこんな日はやってきます。何を言ってもいや、起きるのも、ご飯を食べるのも、着替えるのも、保育園に行くのもいや。お迎えに行っても当然いや。寝るまでいやは続きます。でもこのいやは我々大人が使う『嫌』とは少し意味が違います。1、2才の子どもたちの言ういやは、自分の存在をアピールするために使っているのです。言葉によるコミュニケーションが充分でない子どもたち「お父様お母様の言われることは、正しいとは思いますが、どこかで、いや~と言わないと、わたしをアピールできないの」大人の社会でも「はい」だけでは自分をアピール出来ません。子どもたちのいやいやいやは、本当に嫌なのではありません。子どもたちは「わたしわたしわたし」と我々に自分の存在を示しているのです。子どもたちの目を見てください『これからも少しの間、「いやいやいや」って言うけれど「わたしわたしわたし」のこと「嫌」になったりしないでね』こう聞こえてきませんか?
自由と放任
2018-01-04
子どもは、皆、自ら学び成長する力を生まれながらに備えています。大人の役割は環境を整え、子どもの自由な意思と選択を援助することです。しかし、これは放任して何でも自由に行動させることではありません。子育てとは、子どもの人格、尊厳、感情を尊重した上に成り立っています。放任の自由は、子どもへの関わりを放棄することへつながり、人格を無視していることと同じです。大人は勤勉に子どもへ関わり、その生活のなかに発達を感じ、成長への手助けをしなければなりません。間違った自由、放任のなかから自立(自律)心を、育むことはとても難しいことです。子どもを認め、信頼からの自由と、放任の自由は全く別物ということを知って頂くだけでも、子どもの未来は変わってくると思います。
子どもを認める
2017-12-13
子どもは、小さくて、力も弱く、コミュニケーションも未熟な存在であるから、大人の指示に従わせ、いろんなことを教え込む。このような思いで子どもと関わっていては、子どもだけでなく、大人も楽しく、充実した環境での生活は望めない。人と人、何事に於いても一方的であってはならない。子どもと関わるとき、まず大人は「子どもを認める」ということを心に置いてほしい。「認める」とは相手の意思、行動を尊重し、礼を尽くして関わることから始まる。その後、自らも認められることで、信頼し合える良き人間関係が生まれる。大人の社会で「認める」「信頼し合う」ことは必要不可欠であるが、これは相手が子どもでも、まったく変わることはない。子どもを認め、思いを尊重し、一方的に未熟な存在とせず、行動を見守り、言葉を選び、語り掛け、そして言葉を真剣に受け止める。目の前に困難があれば共に乗り越える。幼き日から継続する「認められている」という思いは、内にも外にも心を豊かに成長させ、やがては大きな力の源となる。大人と子ども、お互いに認め、信頼し合える関係が生まれたとき、現在から未来へ向けて、真に充実した環境での生活が幕を開ける。